~家の記憶エッセイ~ 住まいと棲み家とお宅とアジト
住まいにまつわるショートストーリーをお届けします。
日々の、日常の、住まいと家族のこと。
朝のコーヒーを飲みながら、通勤電車の中で、煮物が煮あがる待ち時間、就寝前に。
インテリアやインタビュー記事を執筆しているフリーライターによるコラムです。
男の子の子育てで誰もが通る道
捨てるかあげるか手入れを続けるか
今日、高校生の三男にとって最後の柔道の授業が終わった。部活動の先輩からお古を譲ってもらうのが慣習と聞いたので、1年前にサッカー部の先輩から5代目かそれ以上の年季の入った柔道着を譲り受けた。これを含めると、おそらくもう一生着る機会はないと思われる柔道着が、我が家には3着もある。長男の時は、校内のリサイクルセールで大きなサイズを買った。それが本格的で重厚すぎたので、次男の時は軽くて速乾な新品を学校の購買で買ってしまった。三男は先輩からのありがたい申し出があったのと、古い柔道着の保存状態に自信なく、3着目が我が家に来た。そのお役目が今日ですべて終わったのだ。捨てられない性分の母なので、機を逃さずに後輩に譲ってねと、三男に強めの圧をかけている。
愛か執着か風習なのか
男3兄弟のおさがり事情は意外と見通しが立たない。着られる期間が重なったり、とっておいたのに忘れたり、劣化が激しかったり。時にはシューズとかトレカとか、「これだけはニューモデルが欲しい!」という主張に屈したりして。母の心、子知らず。
柔道着3着の処分を機に、片づけに着手した。最初に捨てようと決めていたのが、27年前に祖母(私の母)が買った鯉のぼり。コンパクトサイズなので玄関前に飾っていたものの、位置が低すぎたのか、風に泳ぐ姿を見た記憶はない。金色だった回転球と支柱はサビて茶色く変色し、プラスチックの矢車はポキポキ折れてテープで補修されている。人に譲るにはボロ過ぎるし、もう捨てていいよね、と三男に聞いたら、意外な答えが返って来た。「じゃあ最後に、今年飾ってから」。えーっ、そうなんだ。今を逃したらきっと捨てない。そう思いながら、そっと元の場所に戻した。
実を言うと、私の雛人形もまだ収納の奥にある。20年前にこの家に越した時の段ボール箱のまま。その話を男子母のママ友にしたら、彼女の雛人形は実家で毎年、老いた母の手で飾られているという。嫁いだ娘の幸せを願い、思い出も人形も慈しんで手をかけて、物と暮らす親心。捨てる捨てないの奥には、愛と執着と風習のハードルがまだ幾つもありそうだ。

~本コラムの筆者プロフィール~
葉山 郁子 (はやま・いくこ)
ライター。小学生時代に4回転校するなど引っ越し好きの母と首都圏を転々とした後、神奈川県寄りの都内に定住。大手出版社で複数の編集部と雑誌創刊を経験。現在はフリーでエンタテインメント分野の記事を中心に執筆。社会人、大学院生、高校生の3人息子と夫の5人世帯に加え89歳の母と二世帯同居している。