1. TOP 
  2. くらしコラム 
  3. エッセイ 
  4. 四角い箱よりアジトな家

四角い箱よりアジトな家

2024.5.30

なぜか飽きない台形の部屋
土地の狭さから生まれたヘンな形も

くねくねした路地や坂道のある凸凹な街が落ち着くのは、目的や機能のあいまいな空間がところどころに残されているせいもある。全方向から丸見えになるパブリックと、外から遮断されたプライベートの2択ではない、その中間に見え隠れする人や動植物、そしてなんとなくはみ出した空間。同じように家の中も、お互いにチラ見えして気配を感じる空間、すっぽりハマれる隙間、直角でない角度、そういうものが心地よく、特に子供たちは大好きだった。

隙間があったら挟まりたい

息子たちは実によくいろんな隙間に挟まっていたし、道路斜線で削られた傾斜天井の下、低い側に頭をゴツンとぶつけては笑い転げていた。狭い収納の扉の奥からも、小さい兄弟のクスクス笑い合う声が、たまにしゃくりあげて泣く声が聞こえた。泣いた後は小声で「へーんしんっ!」。収納の奥はヒーローになれる秘密基地でもあった。今となってはたまらなく愛しい記憶も、当時は「ママのコートで鼻水ふくのは勘弁」と焦っていたけれど。
台形の土地に家を建てたから、東側と西側の壁が平行ではなかった。間取り上も、直角ではない角度が所々に生まれた。デッドスペースと言えばそうなのだけど、その隙間があるから人や物がうまく収まる、そんなことも多々あった。テレビの裏側に出来た三角スペースには大きな観葉植物を置いた。買った時は片手で持ち帰れたドラセナが、今では高さ3メートルに。テレビを壁面に取り付けたら生まれなかった空間で、走り回るボーイズに押し倒されることなく、吹き抜けに向かって生き生きと葉を茂らせ花を咲かせてきた。さすが幸福の木だ。「計画的ではないけど、ベストな収まりになった」。家づくりにおいて、その自己満足感はかなり大切。整形地に建てた四角い家とはまた違った、ヘンな形の中の自己ベストな収まりは、そのまま家への愛着につながっている。

四角い箱よりアジトな家