~家の記憶エッセイ~ 住まいと棲み家とお宅とアジト
住まいにまつわるショートストーリーをお届けします。
日々の、日常の、住まいと家族のこと。
朝のコーヒーを飲みながら、通勤電車の中で、煮物が煮あがる待ち時間、就寝前に。
インテリアやインタビュー記事を執筆しているフリーライターによるコラムです。
なぜか飽きない台形の部屋
土地の狭さから生まれたヘンな形も
くねくねした路地や坂道のある凸凹な街が落ち着くのは、目的や機能のあいまいな空間がところどころに残されているせいもある。全方向から丸見えになるパブリックと、外から遮断されたプライベートの2択ではない、その中間に見え隠れする人や動植物、そしてなんとなくはみ出した空間。同じように家の中も、お互いにチラ見えして気配を感じる空間、すっぽりハマれる隙間、直角でない角度、そういうものが心地よく、特に子供たちは大好きだった。
隙間があったら挟まりたい
息子たちは実によくいろんな隙間に挟まっていたし、道路斜線で削られた傾斜天井の下、低い側に頭をゴツンとぶつけては笑い転げていた。狭い収納の扉の奥からも、小さい兄弟のクスクス笑い合う声が、たまにしゃくりあげて泣く声が聞こえた。泣いた後は小声で「へーんしんっ!」。収納の奥はヒーローになれる秘密基地でもあった。今となってはたまらなく愛しい記憶も、当時は「ママのコートで鼻水ふくのは勘弁」と焦っていたけれど。
台形の土地に家を建てたから、東側と西側の壁が平行ではなかった。間取り上も、直角ではない角度が所々に生まれた。デッドスペースと言えばそうなのだけど、その隙間があるから人や物がうまく収まる、そんなことも多々あった。テレビの裏側に出来た三角スペースには大きな観葉植物を置いた。買った時は片手で持ち帰れたドラセナが、今では高さ3メートルに。テレビを壁面に取り付けたら生まれなかった空間で、走り回るボーイズに押し倒されることなく、吹き抜けに向かって生き生きと葉を茂らせ花を咲かせてきた。さすが幸福の木だ。「計画的ではないけど、ベストな収まりになった」。家づくりにおいて、その自己満足感はかなり大切。整形地に建てた四角い家とはまた違った、ヘンな形の中の自己ベストな収まりは、そのまま家への愛着につながっている。
~本コラムの筆者プロフィール~
葉山 郁子 (はやま・いくこ)
ライター。小学生時代に4回転校するなど引っ越し好きの母と首都圏を転々とした後、神奈川県寄りの都内に定住。大手出版社で複数の編集部と雑誌創刊を経験。現在はフリーでエンタテインメント分野の記事を中心に執筆。社会人、大学院生、高校生の3人息子と夫の5人世帯に加え88歳の母と二世帯同居している。