~家の記憶エッセイ~ 住まいと棲み家とお宅とアジト
住まいにまつわるショートストーリーをお届けします。
日々の、日常の、住まいと家族のこと。
朝のコーヒーを飲みながら、通勤電車の中で、煮物が煮あがる待ち時間、就寝前に。
インテリアやインタビュー記事を執筆しているフリーライターによるコラムです。
歩行器頼りで室内外を歩く母が
往復3時間かけて通う社交ダンス
90歳の母の住居である1階はすべてフローリングの床で段差がない。ユニットバスの折れ戸以外はトイレも居室も引き戸にして、通路は車椅子で通れる幅で設計されている。20年前の新築時点ではまだ役員秘書として元気に通勤していた母だが、70歳の誕生日目前ではあったので、バリアフリーは重視した。
バスと電車を乗り継いでスタジオ通い
自信のあった足腰は80代での2度の転倒・骨折で危くなった。脳梗塞を発症して血栓を溶かし、心臓のペースメーカーを入れる手術も受けた。それでも90歳になった今では、室内外ともに、歩行器を使えば長距離歩くことができる。骨盤骨折をした影響で、歩く姿はやや傾いてはいるものの、背筋は伸びているほうだろう。
骨折後の痛みと闘いながらのリハビリを頑張り、退院後も歩行器で毎日近所を散歩して、その散歩時間を1時間、2時間と延ばしながら今に至る。毎日の家事は自力でやるし、外出も買い物も好きな時に好きな場所に行っている。季節家電を入れ替えるとか、高い枝葉を払うとか、スマホがおかしくなったとか、力仕事・技術仕事は2階の家族の出番だ。
そんな母の生きる原動力は、60代から始めた社交ダンス。私の記憶では、今の家に引っ越す以前から、クローゼットの半分をダンスの衣装が占めていた。スパンコールでキラキラの、あみあみの、つるつるのサテンのドレス。そしてやはりサテン地を貼った、ヒールの太いダンス用ハイヒール。
今のお気に入りは山手線の某駅近くのダンススタジオで、歩行器を使った母の足では片道90分かかる。近所の友人と2人で、あるいは1人でも、バスで渋谷に出て山手線でグルっと半周。真夏でも真冬でも週1~2回通うダンススタジオでは、踊る直前まで歩行器で、若い男性講師と踊る時はもちろん2足歩行で。「生徒の中で最高齢だけど、きみは誰よりも情熱的に大胆に踊るって先生にほめられるのよ」。何回も何十回も聞いた自慢話を、「そうなんだ!」と受け止める娘は、若い頃から運動嫌いでかなりの猫背だ。
~本コラムの筆者プロフィール~
葉山 郁子 (はやま・いくこ)
ライター。小学生時代に4回転校するなど引っ越し好きの母と首都圏を転々とした後、神奈川県寄りの都内に定住。大手出版社で複数の編集部と雑誌創刊を経験。現在はフリーでエンタテインメント分野の記事を中心に執筆。社会人、大学院生、高校生の3人息子と夫の5人世帯に加え90歳の母と二世帯同居している。