~家の記憶エッセイ~ 住まいと棲み家とお宅とアジト
住まいにまつわるショートストーリーをお届けします。
日々の、日常の、住まいと家族のこと。
朝のコーヒーを飲みながら、通勤電車の中で、煮物が煮あがる待ち時間、就寝前に。
インテリアやインタビュー記事を執筆しているフリーライターによるコラムです。
区画整理された住宅街に憧れてもなじむのは野良猫が昼寝する路地裏
三男のサッカー遠征をきっかけに、かつて母と兄の3人で暮らした鎌倉の古いマンションを訪れた。母子家庭の子になった小学5年の終わりから4年強を過ごしたその地域は、鎌倉市内とはいえ観光目的になる商業地も神社仏閣もなく、海からも距離があった。
昭和だった当時は、団地のような社宅群が近くにあり、社宅住まいの友達と毎日遊んでいた。その敷地には野良猫の親子が住みついて、誰かが餌をあげている。ミニ古墳サイズの丘陵がポコポコあって、その周りに延びる暗渠化されない水路は、ドブ川だが水面がキラキラ光る。小学校の裏手の切り立つ岩肌にはやぐらと呼ばれる洞穴がいくつもあり、暗闇に供養塔や石像が浮かびあがって少し怖かった。毎朝、その洞穴を横目に見ながら下駄箱で靴を履き替えていた。
視覚的サプライズの多い地形
中学校は坂の上にあった。1周すると木々に隠された獣道がある。細い坂道を下る途中で突然視界が開け、大きな富士山が姿を現すという、子供にも大人にもサプライズの多い地形だ。高台には大規模開発された住宅街が広がり、そこを散策するのが好きだった。庭にバスケットゴールのある家。吹き抜けにシーリングファンが回る家では毛の長い犬が飼われていた。埼玉県からの転校生だった私に、「方言あるの?」と真顔で聞いた友人は高台の住人。彼女とはいつの間にか疎遠になったが、中学受験をして私立に進む子があの住宅街には多かったのだと、後々になって気がついた。
区画整理された住宅街への憧れは、あの時代に抱いたのだと思う。大人になってからも、そんな住宅街を散策するとワクワクする。ただ、都心の住宅街は要塞のような建物も増え、音や匂いで暮らしの気配を感じることは少なくなった。碁盤の目のように遠くまで見通せる、平坦で整然とした住宅街は、今の自分には少しだけ居心地が悪い。死角のない街並みには、洞穴も獣道も水路も現れない。野良猫の昼寝にも向いてなさそうだ。
~本コラムの筆者プロフィール~
葉山 郁子 (はやま・いくこ)
ライター。小学生時代に4回転校するなど引っ越し好きの母と首都圏を転々とした後、神奈川県寄りの都内に定住。大手出版社で複数の編集部と雑誌創刊を経験。現在はフリーでエンタテインメント分野の記事を中心に執筆。社会人、大学院生、高校生の3人息子と夫の5人世帯に加え88歳の母と二世帯同居している。